食べ物とプチ「一日一善」を、心がけていました

連日の高熱ですっかり消耗してしまい思うように動けないとき、そんなときでもできることはありました。

それは胃腸に負担のかからない食べ物を食べることで、心の負担を軽くするということ。

腸は第二の脳と言われているように、腸への負担は脳への負担。

また脳への負担(ストレス)は、腸への負担と両輪のような気がします。

気象による気圧の変化や人混みを歩くことすら、ストレスはそこいらじゅうにありますから、すべてのストレスを避けて生活するのは難しことだと思います。

自分の体がきついときに、ふとした優しさに触れると気持ちがゆるみます。

それによって脳の緊張もゆるみ、腸もリラックスをしてストレスの感じ方を軽減することができると実感するのです。

道がわからず不安なときに、気持ちよく丁寧に教えてくれる人と出会うだけで不安が飛んでいきます。

重い荷物を持っているときに、エレベーターのドアを開けて待っていてくれる人がいてくれると、本当に助かります。

大きな親切とかではなくて、ちょっとした優しさで、見知らぬ人や子供達からでさえパワーをもらえることがあります。

私もそれくらいならいつでもできますし、そうありたいと願っています。

スーパーのビニール袋が破れてしまった、おばあさん

スーパーの出入り口から少し離れた所で、荷物を散乱させてしまっていたご老人がいました。

どうやらビニール袋が破れてしまったようでした。

私も買い物帰りで数店から買い集めた品を、エコバッグに移し替えて肩から下げて歩いていた所にご老人と遭遇。

エコバッグの中にはその日ある店舗で商品を入れてくれた際の、紙袋も畳んで入っていました。

最初に「大丈夫ですか?」とお声がけをしたときに、私を一瞥したものの返事もしてもらえず、散乱した荷物を集める作業に戻ってしまいました。(怪しいと思われた?笑)

そうしてエコバッグから紙袋を取り出して「よかったら、これ使ってください」と手渡したのです。

するとさっきの不機嫌な表情は吹っ飛んで「あらー、いいの?こっちの方が(ビニールより)持ちやすいのよね、ぜんぜん違うわ、助かるわぁ。ありがとう、ありがとう」と嘘のような満面の笑みに変わりました!

今の時代どんな人がいるかわかりませんし、か弱いご老人が他者を警戒しても仕方がないのかもしれません。

(その時点の)私にとってはなくても困らない紙袋、でもそのときのご老人にとってはいちばん必要な紙袋。

そうして紙袋もエコバッグに畳んでしまわれているより、ご老人に使ってもらって嬉しかったはず。

そんな空想をするだけで「いいことをしたような気になった」自分がいるわけです。

すべて自己満足でいいので、こういった無理のない簡単な「一日一善」を心がけました。

他者のためというより喜んでもらうことで、自分が癒されているのです。

でも双方が喜んでいるのなら、自分のためだろうが他者のためだろうが、どちらでもいいじゃないですか。

人間から遠いものを食べるという、マクロビオティックの教え

マクロビオティックを玄米菜食だと思っている方が多いのですが、動物性食品すべてを否定しているわけではありません。

ただできるだけ「人間から遠いもの」を食べるようにすることが、体の負担を軽くすると言われています。

人間から遠いものというのは、血の通わないもの。

穀物や植物はその最たるものですが、動物性だと貝類や、甲殻類、白身の魚がそれに近いものがあります。

そういったものを中心に食べて、体(臓器)への負担を軽くしてあげることが脳をリラックスさせる効果があるということです。

疲れが取れにくく感じていたり、イライラや不安が止まらないとき、絶食するのがいちばん手っ取り早いのですが、食べるという身近な快楽も手放したくない。

元気なときはなにを食べても大丈夫。

けれども弱ったときに卵、乳製品、お肉や油(脂も含む)などの消化しにくいもので、体に無理をさせるのは、同時に脳や心のダメージを深めることになります。

そんなときは大好きな食事は手放さなくていい代わりに「人間から遠いもの」を食べる心がけだけで、腸、脳すなわち体をリラックスさせる。

すると気持ちにも余裕が生まれて見知らぬ人へ、小さな一日一善が叶う。

結果脳も腸も喜ばせることができる。

やはり死ぬまで美味しく、いろいろなものを食べられる挑戦心や冒険心は持ち続けたい!

また心を喜ばせることで、気持ちに余裕ができていい循環が生まれる。

自分も含めて誰もが、荒んでギスギスした心境になることもあるでしょう。

そんなときにこちらに少しの気持ちの余裕があれば、あのご老人のように嬉しそうな安心した笑顔をほころばせてくれる。

それに乗じて相対する人たちの心境も、空気もゆるんで一変する。

受け取る側に喜ぶ余裕もない人もいるでしょう。

ギスギスとされてこちらが気に病むくらいなら、その人から立ち去ればいい。

栄養を選んで健康を取り戻すのも、よき循環を作るための心の余裕を持つ心がけも、もすべて「よくしたい」と思う自分のためなのだと思うのです。

誰かの為なんかではありません。


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