「楽しんで!」と人を送りだす癖

自然のなかにいると、客観視はより進みます

自然のなかにいると、客観視はより進みます

他者が旅行へ行くといえば「楽しんできて」。

親戚の子どもが試験のときも「試験楽しんでおいで」と伝える癖が私にはあります。

そうして自分がどこかへ行くときも「楽しんでこよう」と自分へも伝えています。

「(私から)『楽しんでおいで』ってよく言われるし、実際楽しくなる!」と先日友人から言われて、自分の口癖を知ったのです。

「楽しんでおいで」と送り出してくれた父

自分の口癖のもとをたどると、父ではないかと⁉︎

新聞記者で単身赴任や国内外の出張が多かった父が、いつも「楽しんでおいで」と送り出してくれていたからだろうと思います。

一緒に過ごす時間が少なかった分、出張先から届くたくさんのポストカード。

「高校入学おめでとう。新生活を楽しんで、今度様子を聞かせてね」。

「君にそっくりな銅像があって、つい立ち止まってしまったよ。楽しんで過ごしていておくれ」

学校も旅行も仕事も、どこへ行くにも亡くなる直前まで「楽しんでおいで」と送り出してくれていました。

たとえそれが最初は父の反対した行動であっても、最終的に許可を出すと「楽しんでおいで」でした。

「楽しもう」と潜在意識が塗り変わると、起こるいいこと

これだけことごとく呪文のように楽しむよう言われれば、刷り込みに変わるのも無理がありません。

父が亡くなって「楽しんで」と声をかけられることが少なくなり、自分から他者や自分へ言うようになったのだと思います。

心細いときも、氣の重くなる作業の前も「楽しもう」と自分へ声をかけると、少し緊張がほどける。

失敗をしたときも、最初はもちろん落ち込みますが立ち上がりが早くなる。

また失敗へ楽しみながら取り組むことで、課題を客観視するきっかけになりやすいのです。

ベクトルが向かっているのは、自分?外部?

失敗を犯したときに真っ先に考えてしまうのは、そこへ至った経緯です。

「〜に不備があったから」とか「誰々がこんな指示を出したから」など。

誰しも自分が可愛いですから、どうしても自己保身で守りに入ろうとしてしまいます。

守りに入ってしまうと、意識のベクトルは外の要因へ向けられます。

ところが「失敗を楽しもう」という発想の元では「自分を楽しませる」と前提が切り変わります。

ベクトルが外の要因から、自身へ向くのです。

すると失敗は失敗として内外部の要因に対する追及を、いったん置いておくことができます。

自分の失敗に対する怒りや恥も関係なくなり「失敗」という事実に対して、冷静に客観視することができるのです。

自分を客観視したあとは、次の行動のアイデアがでやすい

自分を客観視できたなら、外部の要因と照らし合わせると「自分の修正点」と「外部的な要因」がない交ぜにならなくなります。

そうして自分の修正点にだけ取り組む。

外部的な要因は自分では、どうすることもできないことがわかるのです。

自分の修正点にだけ集中的に取り組むことが、次に起こすといいと思われる行動です。

その前提に「今後自分が楽しむための修正」を付け加えてみてください。

外部的、内部的の分け方

たとえば他者が作ってくれたおいしいものを、調子に乗って食べ過ぎたといった事態があったとします。

それが要因で、お腹を壊してしまったという楽しくない事実。

すると「他者が作ってくれたもの」は外部的な要因で、自分ではどうすることもできません。

ただ「おいしいもの」は自分の嗜好ですから、内なる要因です。

そうして最終的に自分を楽しませるため、お腹を壊さないよう「おいしいもの」をどう取り扱うか?

ということになります。

内なる要因は自覚すれば、コントロールが可能になる

「おいしいものが目の前にあると、つい食べ過ぎてしまう」と自覚をするのが客観視ができている部分。

最後の内なる要因である「調子に乗ってしまった」の部分も自分を客観視しているからこそ、氣がつけること。

内なる要因はすべて氣がつくことができた時点で、コントロールすることが可能になります。

だとしたら「おいしいものが目の前にあるときは、前回より少なく盛り付ける」。

あるいは「おいしいものだけに集中せず、会話も一緒に楽しめば食べる量が減る」などさまざまな次の行動パターンを、思い浮かべることができます。

集中しやすい人(思いつめやすい)人向け

ひとつのことを始めると他のことが目に入りにくくなり、過集中を起こすきらいが私にはあります。

似た傾向にある人には、特にこの思考方法を身につけていただきたいのです。

余談ですが父が「楽しんでおいで」と二言目に伝えていたのは、家族のなかでも私ひとりに対してだけでした。

「君は集中力が強すぎるから、勉強は1日1時間までにしておくれ!」などと冗談で言っていたほどです。

父は思いつめて全力で突っ走り疲弊しがちな私へ、ブレーキをかけようとしていたのではないでしょうか?


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