携帯のバッテリー残量のように、成功体験も数値化できないものか?

生きづらい人が生きやすくなるためには、自己肯定感(自分を認めて信じる力)を上げることだと言われています。

また自己肯定感の低さの理由は、成功体験の少なさだとアドラーは言っています。

けれども最近「それはどうなの?」と思うことが多々あるのです。

なぜなら自己肯定感が低い人が成功しても、自分の実績へ結びつけるのが苦手です。

成功しても成功しても、蓄積にはつながらない。

まるで湯船の栓を抜いたまま、お風呂へお湯を注いでいるかのよう。

せめて携帯のバッテリー表示のように成功体験が見える化していれば、実感としてわくかもしれません。

成功体験の有無の前に、自分が存在する確率のすごさを考えてみる

見える化させるためにはバッテリーの残量表示のように、数値化されたデータ(事実)が説得力を増します。

現在の世界の人口を調べてみると、約74億人近くもいるとのこと!

「わー、私は約74億人分の1の存在なのか」と考えるだけでもすごいです。

誰もが74億分の1の存在だというだけで、優れたサバイバーであり生き抜いてきた成功者といえます。

そうしてこれは成功体験に結びつけるもなにも、圧倒的な事実です。

すると「実は自己肯定感の高低など、人には必要ないのではないか?」という結論へ至るのです。

ここからは科学的、学術的にも根拠のない、私の空想話におつきあいいただければと思います。

同じ精子と卵子(DNA)の間に生まれたのに、それぞれが違う人

1人の人間が生まれてくるには、今のところ男女1人ずつの精子と卵子が必要です。

同じ男女の精子と卵子から生まれた兄妹でも、性格も体質も見た目も同じではありませんよね。

こんなことを考えたことはありませんか?

「私の元となる精子が母の卵子に着床する日が1日、あるいは何分か何時間かでも前後していたら、私は性別も含めて別の人間だったかも?」

若いころからそんなことを考えていたのは、私だけでしょうか?

子供はその人との間に、そのときにしか生まれなかった

私を例えに言わせてもらえば私の生まれる約2年前に、両親がセックスをしたら兄が生まれました。

そうして私の生まれた2年後には、3歳年下の妹になるのです。

計算が面倒なのでお腹にいる期間を、10月10日とか厳密ではなく1年と計算しています。

同じ両親で同じ遺伝子ですよ。

着床する日にちと時間が違うというだけで、こんなにも別の人間が生まれてきたことになります。

卵子と精子(遺伝子)プラス日時が、人間を創造するのであれば

人間が生まれるのに男女の1人ずつの精子と卵子が必要なので、人口を74億人として2で割ります。

単純計算で37億人分の1の確率となります。

ちなみにジャンボ宝くじの1位当選率は1000万分の1だと書いてありました。

あれほど当たらない1等でさえ、概算でたったの1000万分の1です。

37億分の1ということはジャンボ宝くじの1等当選率の、さらに370倍の確率ということになります。

さらに私の考えですと、着床した瞬間のみしか同じ人間が存在しない説が加わります。

数年でも違うということはコンマ何秒差でも、違う人間が生まれる可能性は否定できません。(科学的根拠ナシです)

すると数字に明るくない私の計算で算出された確率でなくとも、天文学的な確率で生まれてきた。

あなたも私も74億人分の1以上の恐ろしく高い確率の元、生きていることになります。

精子、卵子の出会うタイミング、産む体と生まれる力の共同作業

まさに精子と卵子の出会うタイミングと、産む体と生まれ出る力の共同作業ですよね。

どれが欠けても、今生きている人は存在しない。

だから産んでくれてありがとう、生まれてきてくれてありがとう。

感謝をしあうのもアリだと思うけど、どちらかが一方的では存在することがない。

それなら産んだ感謝も育てた恩も、生まれたことも育ったことも、お互いさまだと思えませんか?

産まれても育ててもらえなければ、生きることはできなかった。

だけども成長してくれなければ、育てることもできないからです。

家庭内のいじめは、自己評価の低さからしか始まらない

話を自己評価の低さへ戻しますね。

さまざまないじめは相手を支配しつつ、自分の思うようにコントロールしようとすることから始まります。

うっぷんを晴らすため、愛情不足を補うため、他者との優位性をはかるため…….。

そういった欲求をいじめる側は、いじめられる側をコントロールしてまで満たそうとしますよね。

うっぷんがあるのは、自分を尊重(尊敬)してもらえていないと思うとき。

愛情不足なのは「自分が愛される存在ではなかった」と卑下しているとき。

外部の人間との優位性をはかろうとするのは、自分が劣っていると思うときではないでしょうか。

これはいじめる側も、いじめられる側も同じ心理です。

だから自分を優れさせようとすることも、劣っていると考えることも、平等に自己肯定感の低い同士が集っていることになります。

自分と同じ人間は世界中どこを探しても存在しないし、再び生まれることはない

もし自分自身で「私は世界中どこを探しても、私と同じ人間は存在しないし1分1秒違わず時間を戻さない限り創造できない」と考えるとどうでしょう?

そうしてそれは誰にでも当てはまることですから、平等ですよね。

平等だとすると自己肯定感の高低は本当は必要ないのに「自分で作り出しているだけ」となります。

しかも平等ならば自分以外の人間との高低差など、考える理由がなくなる。

ただ自分はこの世のすごい確率のなかで生き抜く、唯一無二の存在だという事実を受け止める方が先決ではない?

唯一無二の事実を受け止めることができる人にだけ与えられるのが、成功体験だと思うのです。


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