小さい子が同乗すれば、どこにでもある話ですよね?
空港行きのリムジンバスに乗っていたときのことです。
途中停車するバス停のないシャトルだったので、車内アナウンスも人の出入りもなく静かな車内でした。
大人にとっては乗り過ごす心配がないのですが、子供にしては変化がなく退屈な車内です。
私の真後ろの座席に座っていた3歳くらいの子が、隣の席のお父さんに遊んで欲しくて騒ぎ始めました。
優しいお父さんで子供と遊び始めたのはいいのですが、子供は嬉しすぎて「キャハハ〜!」と甲高い声で興奮しています。
「癇癪起こして泣いているよりいいや」と思い、そのまま乗っていました。
お父さんスゲー!と思った件
子供の興奮はどんどん増してさらに甲高く、大きな声で歌も歌い始めました。
最初こそお父さんも「シー」と言っていたり、騒ぐ子供の口に手を当てて「アワワワワ」とさせたりしていました。
私もちょっと面白くなってきて人知れず「クスっ」としてはいたのですが、子供が「アワワワワ」をお父さんへもっとしてもらうため歌う声をさらに大きくしたのです。
「これはいくらなんでも、あんまりじゃないかい?」と思ったときでした。
お父さんが「小さな声の方がよく聞こえるよ〜」と言いました。
子供は相変わらず大きな声で騒いでいたのですが「大きな声だと聞こえないよ〜。バスの中では小さな声の方がよく聞こえるよ〜」と数回繰り返し囁くように言いました。
するとお父さんの囁き声に合わせるように、子供は囁き声で歌い始めたのです。
ときどきつい声が大きくなってしまうときも「小さな声のほうがよく聞こえるよ〜」と再び囁くと、ハッとしたように子供も囁き声に戻ります。
約1時間の乗車時間中お父さんは、忍耐強く子供を騒がせずに退屈もさせず空港へ到着しました。
バスを降りても素晴らしかったお父さん
大きく張り上げたい声を子供も我慢して疲れたのでしょう、バスを降りる途中から小さな声でグズリ始めました。
お父さんは子供を抱きかかえてバスを降りると「さあ、ここでは大きな声を出した方がよく聞こえるよ〜!」と大きな声で笑えるよう、抱いている子供のお腹をくすぐり始めたのです。
グズっていた子供は「キャハハ〜!」と大きな笑い声をあげて、お父さんと手をつなぎとっても大きな声で歌いながら走って行ってしまいました。
お父さんはキャリーバッグを片手に転がし、もう片方は子供の手を取り、子供の速度に合わせて走るのが大変そうでしたが終始笑顔でした。
なにも禁止せず、怒らずに子供を上手にコントロールしていた
お父さんは一度も子供を怒らず「〜をするな」という禁止の言葉も使わなかった。
バスを降りると我慢の発散までさせるなんて、なんて素敵なお父さんなのだろうと感激したのです。
やってもいい場所と、やってはいけない場所をあんなに優しく教えることで「子供が場をわきまえる」訓練も自然になされています。
なかなかできることではありません。
周囲の人間にも自分や子供にも、ストレスを極力与えず一緒の場所にいる方法があることを教えてくれました。
身に付けたい他者へのいいコントロール
自分も含めて他者へ注意をするときは、どうしても強い口調になってしまいます。
何度言っても聞き入れてもらえない場合は、強い口調もありだとは思うのです。
けれども目的はその行為をやめさせることですから、最初から威圧的な口調で言えば相手は心を閉ざしてしまいます。
このやり取りを見て、相手が「従える」言葉選びを工夫したいと考えるようになりました。
コントロール(心理操作)について、私は良くない事例をよく書きます。
コントロールが良くない理由は自分の正当性を楯にして、相手の意図を無視し一方的に押さえつける場合です。
その場合は相手が子供だろうと大人だろうと、問答無用で押さえつけられた屈辱感しか記憶に残りません。
屈辱感はすぐに脳へ怒りとしてインプットされて、意識的に解消しない限り長い時間記憶から消え去らない。
消え去らない怒りは、攻撃性へと変わります。
けれども相手(この場合は子供)を守り、なおかつ周囲も守るためのコントロール術は必要です。
ただでさえ大人になれば注意をされること自体が少なくなり、注意を受けることへの抵抗感が強くなります。
注意をされること自体嬉しくないことですが、注意をする側も骨の折れる作業です。
お互いにストレスを最低限に抑える話術で、譲り合えるレベルまで持っていくお手本のようなお父さんでした。
見ず知らずの他人はもちろんのこと、親しい間柄ほど気をつけたいものです。
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