自分の弱さを克服しようとすると、逆に弱さを助長してしまうことにもなる

家族関係がうまく行っていない人は「自分の弱さがコンプレックスだ」と考える傾向が、かなり強いです。

「もっと強くならなきゃ、こんな弱い自分はなんというヘタレなんだろう」と自分の弱さを責め、なんとしても強くなりたい、強くなりさえすればうまく生きて行けるという幻想を抱いてしまいがち。

もっと言えば「自分の弱さゆえ、上手に生きて行けていない」という誤解をしています。

誰もが強いメンタルで何事にも動じず、人生の荒波をくぐり抜けて行けるのなら最高です。

ですがですが、そんなに簡単ではありません。

っていうか、そんな超人的な人は滅多にいませんし、そうなる必要もありません。

昨日も書きましたが場所は違えど、人には強い部分と弱い部分が必ず共存しているのです。

昨日の記事「過去の不幸の原因追求は、意味がある?ない?」←はこちらから

臓器もそうですし、メンタルも同じです。

一見強そうに見える人にも必ず弱点があり、弱点を見ないようにしていて弱点に不意打ちを受けると、ポキっと折れてしまいます。

利き手を怪我した時にもう片方の腕ばかり使うと、利き手ではない方まで痛めてしまうのと同じです。

また手だけですめばいいですが無理をさせると腕、肘、肩などの関節まで痛めてしまう可能性もあります。

弱点をどう扱うか?

引き続き手を例えに考えると、方法は2つ。

・日頃から利き手じゃない側の手と腕を鍛えておく。

・もしくは利き手ではない腕の負荷を最低限にするために、他者や便利な器具(物)に頼る。

これ以外に誰にでもできる方法はあるのでしょうか?

ただ前者の場合「のど元過ぎれば熱さを忘れる」というように怪我をした利き手が治ってしまえば、反対側を鍛えることなど忘れてしまうでしょう。

だって頼れる利き手があるのですから、わざわざ利き手ではない腕を鍛え続けることはずっと利き手が不自由でないと難しい。

というわけで前者の方法は現実的ではなく、後者の方が考えやすいし実践的だということです。

完全防備は無理ですし、必要ありません

つまり強くなって万全を期すということは、利き手ではない側を、利き手並みに動かせるような訓練を強いるということ。

利き手がちゃんと動くのに、そんな日常の苦労を自分へ課す必要がありますか?

「強くなりたい」という人はそれだけ自分に無理を強いて、不必要に自分をいじめてしまっているということです。

「自分はメンタルが弱い」と思い悩む人は威圧的だったり、支配的な家族によって幼い頃に排除をされる目にあっています。

つまり「法」である自分の意思が理不尽だろうが、相手の意に反していることであろうが「従わなければここから追い出す」という目にあわせる人が側にいたということ。

もちろん法である人は相手の年齢や経済力などで、逃げる力がないということを知っての「従わなければここから追い出す」策略家です。

また排除を恐れる人は人当たりをよくすることで、排除を回避する習慣がついています。

すると人当たりのよさという強みを強化して、弱みを消し去ろうと努力してしまいがちになってしまうのです。

そうして排除されない自分を作り出そうと、自分本来のやりたいことを逸脱してでも、他者の要求に応え続けています。

けれどもそれでも排除は起こります。

なぜなら人当たりの良さを強化するということは、排除したい心理を持つ側から見れば「チョロく策略に乗ってくれる人」に見えてしまうからです。

次第に「排除されて当たり前」というレッテルを自分で貼り、排除される恐怖心という自分の弱みを見ないよう頑張り続けるのが、いつまでも負のスパイラルから逃げ出せなくなる原因です。

排除される自分を見ないようにしていても、いざ排除が起こると「ギリギリまで頑張る自分」が過剰反応を起こし、尋常ではない悲しみに襲われます。

ただ1つ知っておいていただきたいのは、排他的な土地があるように排除をすることが好きな人が、一定数この世の中にいるのも事実だということです。

つまり排除する人すべてを回避することは、不可能だということ。

排除に関する過去記事 見捨てられ不安のいたずら ←はこちらから

自分の弱点が「見捨てられ不安」だったと知れば

見捨てられ不安という心理構造を知ることで、排除をされる、されないの争点から離れることができます。

なぜなら自分が悪くて(弱くて)排除されたのではなく、排除する側に問題があったということが分かるから。

そうして「相手の過去の問題に、自分は介入することができない」ということを知れば、相手の過去と戦うことを止めることができます。

いつまでも見捨てられ不安を抱き続けることは、家族であろうが他者である相手の代理戦争を引き受けることになるのです。

排除が起きたときは、速攻で勇気ある撤退をして自分をいじめなくする(守ってあげる)ことが本来の戦う部分です。

また排除をしなければならないような精神性を持つ人を、遠ざけるような習慣を日頃から身につけておくことも大切です。

排除の目にあったそのときは、自分へ問いかけます。

「排除を受けてでも、そこへ居続けたい?」

いちばん重要なのはここなのです。

排除を避けようとすることに気を取られて、居続ける居続けたくないという自分の意思をおろそかにするのはやめましょう。

「居続けたい、居続けたくない」が明らかになれば、人当たりを過剰に良くすることもなくなり、自分の強み強化も弱み克服もしようと思わなくなります。

居続けるのは自分の意思ですから問題ありませんし、居続けたくない場合は排除する人のいない場所を探すという手もあります。

排除の仕方もそれぞれですし排除を受けた歴史が、どの程度のメンタル面の弱さを作り出すのかも人それぞれです。

いずれにせよその弱点は克服するものではなく、自分が自分の弱みの防波堤になり守ってあげることで、強みを弱らせることを防ぐことも可能になるいうことです。


投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!

↓いつも応援ありがとうございます。

にほんブログ村 家族ブログへ