動けない時間を焦りと、自分にダメ出しでいっぱいにしていませんか?
誰にでも自分が動けているときと、動けていないときがあると思います。
病気、怪我、家族の事情などで動くことができない。
そんなときに出てくるのが「焦り」からくる動けない自分へのダメ出し。
そうしてダメ出しが相次ぐと、今度は「怒り」が出てきますね。
「病気になったせいで」とか「怪我をしたせいで」とか「家族のせいで」など。
自分以外のなにかに対して、怒りが湧いてくることがあります。
これがいわゆる「八つ当たり」というものなのですが……。
八つ当たりの要因がなければ、幸せなのだろうか?
ちょっと前に、八つ当たりしている人を見たのですよ。
「こういうことが起こって、自分は動けなくなった」って言っている人。
だけど私から見るとその人は、ずっと前から動けていなかった。
「ずっと幸せではないから動けなくなってしまった」と考えることはできないでしょうか?
だからそのことが起こったことは、動けないことと関係ないんじゃない?って思うんです。
逆によかったのではないかとさえ、思ってしまいます
むしろ「こういうことが起こる」前から動けていなかったから、そういうことが起こってよかったのではないか?
だって動かない免罪符が、できたってことでしょう?
でもね、そもそも動けないことが悪いことだと思っているわけですよね。
だからなにかに八つ当たりをしてでも、欲しい免罪符だったことでしょう。
そんな免罪符は、いらないと思いませんか?
「ただ自分は幸せではない」という事実を見て、じゃあどうすれば幸せになるのか?ということだけ考えればいいのに。
そこで八つ当たりをしてしまうから、問題がややこしくなる。
動けないときは、自分を楽にすることばかりを考えたら?
私の経験則で言えば動けないときに抗って動くと、見ず知らずでも意地悪い人に出会ってしまったり、大切な物を失くしてしまったり。
ぜんぜんいいことないのですよ。
だってつらさを丸出ししている顔って、客観的に見ると卑屈で人をイライラさせるから。
意地悪だってされてしまうよ。
そんな焦って動くより暖かいお風呂に入って本を読んだり、大好きな音楽聴いて泣いたりしている方が自分が楽。
あるいは何にも考えずに、ボーっとしていてもいい。
なんでもいいから八つ当たりを止めて「自分を楽にする方法がなんなのか?」を考えるといいと思う。
結局動いても、動かなくても関係ないことがわかるよ
「じゃあ仕事は?」とか「家族はどうなるの?」とか考えなくていいと思う。
だってそれも動かないことを、罪悪視する免罪符でしょう?
動いたっていいことないのだし、動けなければ八つ当たりをして、どっちも自分を大切にしていないじゃない。
だったら動くことを諦めて自分を楽にしてあげた方が、自分にも対外的にもいい効果が出るよ。
そうしたら思ったより早く動けるようになったりして「動けなかったあのときの悩みって、いったいなんだったんだろう?」って思う日がくるかもよ。
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