人生やり直せるならなにがしたいですか?
今苦しみのなかにある人は現実が理想とがかけ離れているから、自信を喪失したり希望が持てなくなっているのではないでしょうか?
もし理想通りなら、生きる希望と活力を取り戻すことも可能になるのではないでしょうか?
人生をやり直せるなら?って考えたことはありませんか?
生きる気力が弱ってしまった人たちへ ①でもお伝えしたように、私は自覚のないまま40年間代わる代わる誰かの操り人形として生きてきて、もう限界でヘトヘトでした。
パニック障害が「ヘトヘトだよー‼︎」と私を休ませて、現実世界へ引き戻してくれたのです。
生きて行くためには、希望が不可欠です。
人から操られることに慣れきってしまい自分の希望のないまま焦って、消耗して、疲れ果てていたのです。
自分の希望が見えないのは、誰か他の人の希望ばかりをいつもかなえようとしていたから。
自分自身のために生きていなかった私は、呆然としました。
数ヶ月間、毎日ではないものの1人で泣いて、眠って、少し疲れが取れた後で考えてみました。
「希望、希望……。◯◯さんの希望は知っている。でも私の希望はない」
そのときの自分にできることを考えていたら、ちっとも希望が浮かんでこなかったのです。
なぜならそれまで「あなたが幸せになるためには、まず私を喜ばせなさい」という母親からの呪いがかかったままでしたから。
そこで親を関係ないものとして、ご新規に生まれ変わったら、どんな風に育ちたいか?という風に思考を切り替えました。
親のせいにし続けても、自分の操り人形の呪いからは解き放たれないからです。
私は生まれ変わったら、私らしくいることを喜んでくれて、愛してくれる家族の元に生まれたかったと思っています。
親の顔色を見ずにノビノビと、泣いたり笑ったり怒ったりすることができる家庭に生まれたかったです。
とても抽象的な願望ですね。
ただ「次はなにをされるのだろう?なにを言われるのだろう?」といった家族を信じきれないような、世知辛い思いはもうたくさん。
温かいものに、囲まれていたいのです。
そうしてこれは20代のころから願っていたことです。
けれども私の生まれ変わったらを実現するためには「生まれ直し」をしなければなりません。
親から変えなければならないのですから。
そう思って早々にあきらめていました。
泣いて眠って疲れが軽減したら、ヴィジョンを描く
操り人形は人から操ってもらうまで、自分で動くことができないのです。
人に操ってもらうためには、誰かに保護をされていなければ放って置かれてしまいます。
だからいつも愛してもらえるよう、全力投球でいろんな人たちへ気持ちを注いでいました。
けれども人から操られている限り、自分の好きな方向へは行けません。
いつも意志の主導権は、「自分の愛してほしい人」に切り替えられます。
子供のときは親から捨てられないように、ののしられても、嫌いだと言われても、親の操り人形としてすがらなければ生きていけません。
その習慣のすり込みが幼少期からなされていたことを、カウンセリングや心理学の勉強をすることで、徐々に気がつくことができました。
操り人形を少しずつやめるには誰かの掲げた目標ではなく、自分自身だけの「なりたい姿」のヴィジョンが必要です。
ヴィジョンといっても、最初から大げさなものである必要はありません。
私のように「温かいものに触れていたい」などの抽象的なことでも構いませんし、「お金の心配をせずに、お寿司を食べられるようになりたい」という具体的なヴィジョンでもいいのです。
できれば直感で出てきたものの方が、最高です。
泣いて眠って、少し疲れが取れたら、近い未来のヴィジョンを考えることができるようになります。
ヴィジョンが出てこないうちはまだ疲れています。
もう少し休養をしてください。
そうしてゆったりと楽しい気持ちで、自分だけを喜ばせるためのヴィジョンを考えてみてください。
このヴィジョンにはたとえ愛する人でも、他者を交えてはいけません。
たとえ1人になっても、自分を喜ばせるために必要なツールなのです。
先々にやりたいことがわずかにでも見えないと、気持ちは不安に陥って誰かにすがりたくなってしまいます。
すがって誰かの操り人形へ戻ってしまえば、また誰かの主導で疲れ切るという悪循環が起こります。
またあまり大きすぎる野望を抱こうとすると無理感が出て、プレッシャーに変わります。
そのためにもささやかなヴィジョンを、持つことから始めてください。
とにかく考えると思わずニンマリしてしまうことで、ガチガチに張り詰めていた気持ちが緩んで希望が見えてきます。
心が元気になってくれば、どんどんヴィジョンはふくらんで行きますから、最初から欲張らないでくださいね。
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