人の運は平等?
あまり女子力の高い方ではない私も、女性が大好きな占いはわりと好きだし信じる方です。
とは言ってもそんなにこまめにチェックするわけではなく、年に1、2回ほど自分の心に迷いが出たときに鑑定してもらいます。
ある日占星術師が私のホロスコープ・チャートを見て「ほとんどの星が、人生の後半戦に集中している」と言いました。
鑑定してほしいことを伝える前に「これまで自分のために生きてこなかったわけではないけれども、どちらかというと主に人のために生きてきましたね?」と言われて驚きました。
その人は「長年チャートを見ていると前半に星が集中している人、ポツンポツンと散らばっている人といろいろあるのですが、数は誰もがほぼ同じ数を持っている」と言っていました。
なにが言いたかったかというと「持っている運は、皆平等なのだ」とその人は言っていたのです。
つまり力の使い方、運の発揮の仕方、静と動のタイミングをうまくつかみなさいということではないでしょうか?
人の死に遭遇するたび思うこと
私はこの占星術師の話を聞いて、なんの矛盾も感じませんでした。
これまでに志半ばで人生を終えた人、自ら命を絶ってしまった人、寿命をまっとうしたと思われる人、などさまざまな人の死に遭遇しています。
その人たちの人生の全てが不幸なわけでも、幸運なわけでもありません。
家族には恵まれなかったけど仕事では多くの人を支えて、ものすごい力を発揮して亡くなった人。
お金をたくさん得て地位も名誉も手に入れたけど、人から憎まれて孤独のなかで亡くなった人。
まったくお金はなかったけど、愛情いっぱいの家庭を築いて亡くなった人。
そういった人たちの人生と少しだけ関わった者として、この占星術師の言っていることは間違ってはいないと感じたのです。
どの側面から見て不幸なのか、幸せなのか?そこではないでしょうか。
これまで親子関係に悩まれてきた人たちへ
若くして親の離別、死別に遭い必死に生きてきた人。
依存する親に、足を引っ張られて大人になった人。
20年、30年、40年、もっと?
何十年も苦しんできた人の多くは、その蓄積の長さに自分の人生を諦めてしまうかもしれません。
まるで「今世は自分のために生きていてはいけない運命になっている」といわんばかりに。
けれどもこのブログを継続的に読んでいる人は、少しずつ「諦めなくてもいい」あるいは「自分が悪いわけではなかった。諦めなくてよかった」と感じ始めている人だと願っています。
そうしてもしこれまでの自分の人生で、誰もが経る困難を早くから先取りしてきたと思えたら。
そうしてそれまでの過酷な時代は、これから充分サバイバルできるだけの知恵を授かる期間だったと考えることができれば。
死ぬ気で戦うことなどありません
死ぬ気で戦うことも、運命や人生を呪うことなどなにもありません。
だって若いころから同年代では受け止められないほどの困難を、引き受けるたびに強くなってきているのです。
これまで幸せになろうとすると、さまざまな不都合が起きたから生きることに怯えているだけ。
自分の強いサバイバル力を、信じられなくなってしまっているだけ。
強みのない人もいないし、弱点のない人もいない。
ただこれまで弁慶の泣き所をいつも蹴飛ばされ続けて、立ち上がる足が弱ってしまった。
だけどそれ以上攻撃を避けて、足が治れば再び歩けます。
「困難はもう充分起きた。これからはいいことしか自分の身に起こらない」と信じて生きていればいいのです。
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