不安定な家庭に育った人ほど多い、未完成(アンフィニッシュド)な思い

どんな人にも、未完成な思いはあると思います。

若いころ夢見ていた職業に、就くことができなかった。

もっといろんな世界を見たかったのに、働かなければならない状況にあった。

すべて未完成(アンフィニッシュド、finished の反意語)な思いです。

特に思春期に入るまでの時期に両親の不仲、離婚や病気などを含む健康的な家庭で育てなかった人。

そういった環境に育った人たちはさまざまな我慢や、あきらめの心境を抱きながら生きています。

あきらめる原因となった未完成な心は、子供側のせいでは100%ありません。

けれども今でもあきらめてしまっていて、自分には手に入らない願望だとあきらめ続けてはいないでしょうか?

アンフィニッシュドな思いがもたらす弊害

たとえば家族の誰かが長患いをして、甘えることが許されなかった家庭に育った子。

しっかり者で、がまん強く育ちやすいです。

けれども一方で「自分を見てもらえなかった」という引っ込めてしまった思いも、潜在的に抱き続けているかもしれません。

すると自己顕示欲が過剰に強くなってしまったり、配偶者やパートナーへ「自分を見てくれていない」といった不満や不安が募りやすいです。

またがまん強い人特有の「甘え下手」な一面も持ち合わせてしまいやすい。

誰にも思いをゆだねられず、ゆだねられなかった思いを爆発させる(癇癪)ことでしか解消ができなくなる。

これって誰がいちばん苦しいかというと、癇癪を落とされる側ではなく癇癪を起こしている本人なのです。

もともと未完成な思いゆえ心に傷を負っているのに、さらに自分で自分を傷つけ続ける。

せっかく癒えようとしている傷だったとしても、未完成な思いがえぐっていきます。

誰しもあるアンフィニッシュド

がまんをくりかえすことで、アンフィニッシュドな感情を押し殺し続ける。

こういった体験は多かれ少なかれ、誰しも経験しています。

家庭を守るため自分のキャリアのためなど、アンフィニッシュドとなる理由はさまざまです。

けれどもたとえその理由を探っても、アンフィニッシュドな思いは完結しないのです。

なぜならそれは家庭や職場などの、外的な要因からもたらされた内的な要素だからです。

実はアンフィニッシュドをフィニッシュドへ変えられないのは、外的と内的な要因を混ぜて考えてしまっているから。

また内的(自分)は変えることができても外的(他者や環境)を変えることは、ほぼ不可能です。

小さな内的なアンフィニッシュドから探してみて

とはいえいきなり若いころのロックスターになりたい思いをあきらめたから、今から再び目指そうというのは無謀というものです。笑

もっと小さなアンフィニッシュから、少しずつ取りかかってみてください。

子どものころ両親が共働きであまり構ってもらえず、お金を渡されて毎日ひとりでお弁当を買って食べていた。

今となってはひとりで食べるのも、お弁当を買うことも日常の一部になっている。

けれども本音では家族と食事をするなごやかさや、にぎやかさがアンフィニッシュドな感情として残っているとします。

ここで「家族の食事」は外的な要因です。

「なごやかさや、にぎやかさ」というのは自分で感じる内なる感情です。

「家族の食事」というくくりを外せばいいわけです。

なごやかで、にぎやかに食べられる場所は、探せばいくらでもあります。

求めるなごやかさや、にぎやかさが満たされると、アンフィニッシュドがフィニッシュドとなります。

ひとつひとつ、内的欲求を満たしていく

ひとつ完結すると、また次が出てきやすくなります。

そうしてひとつひとつ完結させていくことで、アンフィニッシュドな感情の及ぼす弊害も去っていきます。

アンフィニッシュドの及ぼす弊害が去ると、次第に生きづらさも去っていきます。

また少しずつアンフィニッシュドをフィニッシュドに変えていくと、ロックスターも夢ではなくなるかもしれませんよ!?

最後にくれぐれもお伝えしたいのは、完結と完璧は違います。

完璧な人もいなければ、完璧な人生を送る人もいません。

それに完璧を目指すと、心にも体にも力が入りすぎます。

結果うまくいかなくなることが、多いです。

簡単なものからゆるーい気持ちでアンフィニッシュドな感情を、フィニッシュドに変える取り組みをしてみてください!


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