幼いころは誰も自分を疑うことを知らない
自己肯定感(自分を認める力)の弱い人へ、「自分を信じて」とか「自信を持てばいい」といわれます。
「ではどうすれば、自分を信じることができるのでしょうか?」という質問もよく受けます。
「疑うことをやめればいい」と私はこのごろ考えています。
幼いころ、自分を疑ったりしましたか?
私自身自分へ疑いを持った記憶のあるところまで、さかのぼってみます。
記憶にある限りでは、中学校1年のときです。
それまでは「自分を疑う」という感情はありませんでした。
ではそれまでは自分のことを信じ切っていたかというと、それには語弊があります。
「自分は勉強ができない」とか「体が弱い」などネガティブな要素にも、疑いを持っていなかったのです。
つまり自分自信を疑わないというより、自分の現状をありのまま違和感も持たずに受容していたのだと思います。
ゾーンに入るときがある
短距離走手の私はどんなことにも、長い時間集中することができません。
だから「毎日コツコツと」とか「粘り強さ」といった行動は、幼いころから苦手でした。
その反面、集中するときには他のことが目に入らなくなり、音も聞こえなくなるほど集中します。
またその状態がさらに強くなると、物事がスローモーションのように見えてしまうことがあるのです。
これが「ゾーンに入る」といわれる状態なのですが、最初にゾーンに入った記憶を今日は書いておこうと思います。
小学5年生のときの(プチ)海上漂流
アフリカのタンザニアに、住んでいたときの話です。
週末は月に1、2回モーターボートで20、30分ほどの無人島へ渡り、海水浴をしていました。
現地駐在の日本人家族や父の外国人の友人たちと、無人島で迎えのモーターボートがくるまで遊んでいました。
海水の透明度が驚くほど高く、波が穏やかで安全な場所です。
当時小学校5年生だった私は泳ぎは得意で、小さな子供たちのお世話を任されることもありました。
その間大人たちは子供たちが見える木陰で、クーラーボックスのビールを飲み、持参したお弁当を楽しみます。
その日私は幼稚園児2人をゴムボートに乗せ、引っ張って遊んでいました。
そうして幼稚園児2人が指し示す方向へ、ゴムボートを引っ張りながら泳いでいたのです。
浜辺からの「戻っておいでー」という叫び声で後ろを振り返ると、ものすごく遠くへ流されていたことに氣がつきます。
また潮の流れの速い場所に入ったようで、どんなに浜辺へ向けて戻ろうとしても沖へ沖へと流されていきます。
すっかり浜は見えなくなった
全力で泳ぎ続けても流されるばかりで、とうとう浜辺は見えなくなりました。
大人たちが見えなくなったせいで、幼稚園児たちは泣き始めます。
幼稚園児たちをなだめるために私がゴムボートへ乗ろうとしても、足のつかない場所では反動で転覆する恐れがあります。
潮の流れに逆らうのをあきらめ、ゴムボートの淵に腕を掛けて話しかけました。
「お姉ちゃん泳ぎが上手なの、知っているでしょう?」と笑いながらいいました。
すると2人は泣き止み「うん、すっごく上手!」と返してくれます。
「だからすぐに戻れるから(ゴムボートの淵についている)ロープをしっかり握って、落ちないでね」と伝えると、その通りにしてくれます。
「ビューン、ビューン」と心でつぶやいていた
泳ぎがいくら得意とはいえ、潮流には逆らえません。
また片方の手に握っている、ゴムボートを引っ張るためのロープを放すわけにもいきません。
片腕と両足しか使えずそれでも「ビューン、ビューン」とクロールのひとかきごとに、心の中で掛け声をつぶやいていました。
私が「ビューン」と心でつぶやいているはずなのに、なぜかゴムボート上の幼稚園児たちも同じタイミングで「ビューン」と言い始めます。
実際に私が「ビューン」と水をかくと、ビューンと進んでいたのだと後で言っていました。
幼稚園児の「ビューン」の掛け声で、トランス状態に入っていた
幼稚園児たちが可愛い音頭取りをしてくれたので、心で「ビューン」とつぶやくのをやめると音のない世界になりました。
規則的な音頭取りに水をかく動きを合わせることで、私はトランス状態に入っていたのです。
耳元でチャプチャプと聞こえていた波の音も、水をかくときに聞こえる水中の「ゴー」という音も全部消えました。
しかもなにも聞こえないことに、心地よさを覚えていました。
その次に自分のクロールする片腕が、ものすごくゆっくりとした動きに変わります。
無声映画の、スローモーションのシーンを見ているようです。
そうしてしばらく息つぎも必要なかったほど、苦しくないのです。
まるで水の中で、呼吸ができているようでした。
最後はモーターボートに発見されたんですけどね
幸い奇跡的に通りがかったモーターボートに、発見してもらいました。
モーターボートに乗っていたイギリス人のカップルに、最初私は見えていなかったそうです。
幼児2人しか見えていずおかしいと近づき、近寄ってくるところで私が水中から顔を出したそうです。
「そうとう長い時間、水中から顔を出さなかったでしょう?それに驚異的な速さで泳いでいたね」といわれました。
自分ではどれくらいの速さで泳いでいたのか、また息つぎをしていなかった時間もわかりません。
このモーターボートに見つけてもらえなかったら、迎えがくる約束の時間まで軽く2時間はありました。
怖くなかったの?
救出してくれたイギリス人カップルの女性は、幼稚園児たちを抱きしめて「怖くなかった?」と聞きました。
幼稚園児たちはニコニコしながら「ビューンで楽しかった」と答えます。
「あなたは?」と私にも聞かれました。
「私も楽しかった」と答えると「誰も(戻れないことを)疑っていなかったんだね」と男性は言います。
再び離島へ戻ると幼稚園児の親御さんたちも、私の親もバンザイをして喜んでいます。
イギリス人男性が「あなたは勇敢な娘を持ちましたね」とねぎらってくれました。
父は「この子は泳ぎがうまいから、潮の流れに乗って出発したところまで戻れると思っていた」と呑気なことを。
また幼稚園児たちの親御さんも私と一緒なら、大丈夫だと思っていてくれたそうです。
皆さん脳天氣だとも言えますが、誰も「万が一」を疑っていなかったのです。
疑いを知らなかったころの記憶を、たどってみてください
疑うことを知ってしまった今では、滅多にゾーンへ入ることもなくなりました。
それでも時折入ると「オー、入っていた!」と喜んでいます。
ただこの不思議体験からフリーダイバーたちが、なぜあれほど長い時間息を止めていられるのか?
また九死に一生を得た人たちが、なぜ助かったのか?
それらは、わかる氣がしています。
おそらく自分を疑う氣持ちを持たない、ゾーンに入っていたのではないでしょうか?
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