朝日の中でゆっくりと飲むコーヒーは、格別

朝日の中でゆっくりと飲むコーヒーは、格別

齢(よわい)47歳にして覚えた、うたた寝の快感

最近よくうたた寝をするようになりました。

以前はしっかりとお布団やベッドに入らなければ、眠れない性分でした。

家族からも「うたた寝をするなんて、珍しいね」と言われています。

年齢的な体力の衰えもあるのでしょうが、それだけではないと思います。

20代の睡眠障害だった頃に「寝巻きを着たらしっかり布団に入る。寝巻きのまま動き回らないこと」が眠れるコツだと言われたことがありました。

わりと人の言うことには真面目に従っていたので、最初は寝巻きも着ていず、お布団にも入っていないうたた寝にさえ罪悪感が出ました。

けれどもうたた寝を何度か繰り返すうちに、寝落ちしてしまうほど、リラックスをしていることだという開き直りが出ました。

だって気持ちがいいんですもん。

ずっとリラックスできずにいたのだと、うたた寝は私の気持ちが解放されていることを知らせてくれます。

それと寝落ちするほど1日を、頑張った証拠でもあります。(寝落ちしない人が、頑張っていないという意味ではありませんので)

罪悪感はいつの間にか消え去りました。

静寂を感じることで、心のザワメキが消える

昨晩も23:00頃にうたた寝をしてから起きてベッドへ行きましたが、5:00前にはパチっと目を醒ましました。

まだ日も明けていないうちに窓を開け放ち、冷たい朝の空気を部屋に入れます。

熱いコーヒーをドリップすると、いい香りが朝の空気と一緒に部屋中に漂います。

1日のなかで最も静かな時間。

気持ちがザワザワしているときも、静けさのなかにいるとおさまります。

日中に余計なノイズが、いかに多いかがわかります。

そうしてノイズにどれほど振り回されている自分がいるのかということも。

落ち着いて考えればなんということもないのに、ざわめく環境の中ではまとまらない。

睡眠は長さ(時間)ではなく、質なのだということもよくわかります。

寝落ちするほどグッスリ眠れていなければ、静寂は恐怖となり心のザワメキは消えません。

リラックスできなければ、いつも緊張したままでは、頭の整理もできずどうしていいのかわからなくなります。

不安がいつまでも付きまとい、自分が見えなくなってしまう。

「もっと、もっと」が出るうちは、リラックスしていません

もっと幸せになりたい、もっと楽しくしたい、もっと元気でいよう、もっとちゃんとしなければ、もっと、もっと…….。

たとえ良くなろうとしていても「もっと」が出るうちは、気持ちだけが上滑りしてしまいます。

そうして本来の目的である「どうしたい」がまったく見えなくなり、目的への軌道から外れてしまいます。

どういうことに「もっと」を感じているかを探して、いったん「もういい」に変えるとスッと体の力が抜けていきます。

体がしなやかでなければ、ちょっとぶつけただけでも怪我をします。

心も同じです。

しなやかな心は、柔らかくて強い

リラックスしていないときの緊張した固い心は、ノイズばかりを拾います。

またノイズを聞き入れたときの、心のダメージも深いです。

普段どうってことがないことが気にかかり、過去に起きたイヤな経験ばかりを思い出してしまうなど。

気持ちがどんどんネガティヴに傾きます。

リラックスしているしなやかな心は、ちょっとしたことではヘコみません。

「もっと」を考えるのをいったんやめましょう。

眠れなくても「もういいや」と開き直って深夜の静寂を楽しめばいい。

日中に観る暇のないDVDを見てもいいし、長編小説を楽しんでみたり、いつもは書かない相手や自分へお手紙を書くなどなんでもいいのです。

翌日は少しきついかもしれませんが、眠れない時間を楽しめてリフレッシュされていれば、1日くらいなんとか頑張れます。

1日のなかでわずかでも開放的な時間を得ることで、リラックスの快感を体に覚えこませるのです。

リラックスの快感を覚える時間が増えると、いつの間にか私のようにうたた寝をしてしまう日がきますよ!


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