さまざまな個性の裏には、さまざまな癖がある

自分を含めて、人にはさまざまな癖があります。

悪い癖を持っていても、悪い人とは限りません。

むしろ悪い癖を避けてお付き合いすれば、心地のいい相手ということもありえます。

しかしながら相手の悪い癖を避けているうちに、相手に悪い癖があったことを忘れてしまい、再びバカを見るということが起こりました。

ちょうど20年前に起きたプチストレス

私の思う他者の悪い癖のなかでも「約束を守らない」という人は、昔のマイ・ルールでは完璧にアウトでした。

もう20年も前の話です。

その人はとてもおっとりとしていい人なのですが、大風呂敷を広げるわりに動かない癖がありました。

知り合ったばかりのその人の専門についての頼みごとをすると「任せておいて!自分がどんな手を使ってでも請け負うよ!」と頼もしく引き受けてくれました。

1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、その人からはなんの返答もありません。

支払ってはいないとはいえお金が絡んでいたことだけに、他の人へ頼み直すと二重払いになる可能性があります。

こちらから連絡をしても「あー、その件ね。問い合わせ中だからもう少し待ってくれれば必ず!」と言われるばかり。

どんな人柄かよくわかっていない相手のことを、信用するしかありませんでした。

できるのか、できないのかハッキリ言って〜!

3ヶ月待ちましたが、相変わらず同じ返答しか返ってきません。

私がしびれを切らしてしまったのと、変わらぬ調子の良さに不信感を抱き、別の人へお願いすることにしました。

別の人はあっという間に頼みを聞き届けてくれて、問題を解決することができました。

あまりにも進まなかったので、無茶な頼みごとをしてしまったと思っていたのに、ぜんぜんそうではなかったとわかりました。

こちらから頼んでいたことを別の人へお願いし直すというのは、とても気まずい感じでした。

ですが意を決して「すみません。別の方へお願いしたら、すべて解決しました」と謝りの連絡を入れたところ……。

その人は自分に頼まれても無理なことで、動いてもいなかったと暴露をしたのです!

「あー、私の人選ミスだ。こんなに長い時間ハラハラ待つのではなかった!もっと早く見切りをつけなかった私が悪い!」と反省をしていたのです。

それっきりその人へは頼みごとなど、絶対にしないと思っていました。

その人の適当さは、裏を返せば相手に対しても寛容だということです

ビジネスだろうが、プライベートだろうが「約束はなにがなんでも守るもの」としていた私にとって、その人の対応はまるで宇宙人のように映りました。

けれどもその人のいいところは自分が約束を守らない代わりに、相手にも寛容だということがわかってきました。

縛らずにいてくれるので、話をしていても楽です。

頼みごとや約束さえしなければ、気のいいお調子者なのです。

自分の「約束はなにがなんでも守るもの」という枠がだんだんとゆるまり「(プライベートな部分に限って)状況を見て柔軟に」ということを教えてくれました。

が、しかーし!寛容に見えるあまりに、すっかり相手の適当さを忘れていた!

その後もその人との、付かず離れずのお付き合いは続いています。

その人へ頼みごとをしなくなると、残されるイメージは相手の懐の大きさだけになります。

20年も昔のことですから、かつてその人へ対してウジウジと思い悩んだことさえ忘れていたのです。

そうして私としたことが、またしてもその人へお願いをしてしまったのです。

メールで打診をすると「わかりました〜。◯時に連絡をしてもいい?」と返信をもらい待っておりました。

次に「すみませんこういった事情で、連絡は明日になります」と◯時の時間を大幅に遅れてメールがきました。

そうして翌日には「今日は忙しいので、また連絡をします」と書かれたメールが送られてきたきり、音信は途絶えました。

てっきり相手は忙しいのだと思い込み待っていましたが「違う、違う!あの人は頼ってはいけない人だった〜!」と、やっと思い出したのです。

またしても「相手の癖を忘れた私が、悪い‼︎」ということで、この件は一件落着です。

人は窮状を迎えなければ、変わらないのです。

その人はその寛容さ(適当さとも言う)でうまく生きてこれているから、20年経っても変える必要もない。

前回は3ヶ月間はぐらされましたが、今回は2日で済んだということがせめてもの救いでした。


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