いきなりのネガティブなタイトルですが……笑
「自分はなんの役にもたたないもーん!」一見ネガティブな言葉に思えます。
他者へ向けて言えば、自己卑下とも思われかねない言葉です。
ただし人へ尽くすことばかりを考えてしまい、自分に力を注げない人が自分へ向けて言う分にはとても有効な言葉なのです。
自分を満たしていない人は、他者から報酬として喜びをもらおうとしてしまう
「人さまのお役にたってなんぼ」「喜ばせてなんぼ」だとか「誰かを助ける」ということは本来なら喜ばしいことです。
ただこれはあくまでも、自分を存分に楽しませることを知っている人の正論だと思うのです。
つまり自分が満ち足りている「余力」で他者を喜ばせるということ。
一方で親から依存されてきた人たちは「他者を喜ばせれば自分へいいことが返ってくる」ような気がしている人が多い。
それは喜びという報酬を当てにしていますから、いざ喜んでもらえなかった場合怒りが発生します。
「人のためなら食事の準備もするのに、自分のためならなんだっていい」という発想もわからなくはないですが、やはり他者から喜んでもらうことで、自分が料理をする動機付けをしています。
気持ちだけでも「自分のためならなんだって作れるわ!だって私が喜べば皆んながハッピーだから。ついでに人のも作ってあげちゃおう」くらいが潔いです。
もともと依存される人は優しい人が多いので「自分がなんとかしてあげなければ」とか「自分さえ我慢すればいい」という自己を犠牲にする精神が、とても強いのです。
ところがよくできたもので依存する人は、自己を犠牲にしてまで尽くしてくれる人が大好きです。
「お前のためなら死ねる!」といった古い映画のセリフがありますが、その逆です。
「自分のために死んでくれ!」と平気でのたまうのです。
この幻のゴールデンコンビは、もう解消したほうがいいのです。
人へ尽くせるだけの有能さがあるから、尽くしてしまいます
人へ尽くす行為はその人の好みを察知することができなければ、かないません。
いつも的外れなリターンをしている人なら、依存的な人は「ちっ」と言いながら去っていくのです。
本来なら誰も寄り付かないあつかましい相手の要求をキャッチして、期待に応えることができる器用さや優しさなどの有能さがあるということです。
その有能さを自分や依存しない人に利用するのは、とても助かります。
しかし依存的な人へ使うと「死んでくれ」と言われてしまうのでやめたほうがいいです。
自分の存在の前提が有能だから動いてしまう
つい頑張って相手の期待に応えようとする自分へ、明るく可愛くつぶやくのです。
「(どうせ)自分なんてなんの役にもたたないもん!」と。
反射的に尽くしすぎて依存されてしまう人には、このくらいの明るい自己卑下が必要です。
すると仮に相手から悪い反応が返ってきても、受け止め方が変わります。
なぜなら悪い反応が返ってきて怒るのは、自分の有能さを否定された気になるときです。
けれども前提が無能だとすると「そのとおり!」と否定された怒りはでてきません。
また頑張りすぎるような尽くし方もしなくなりますし、自分の尽くしたい相手にだけ尽くすコントロール力が身につくのです。
ただしくれぐれも尽くしすぎる他者へ「あなたは自分を役にたたない人間だと思うべき」などと使うことはやめてください。
頑張り屋さんの怒りの火に、油を注ぎますよ。
あくまでも自分限定です。
せーの「自分なんてなんの役にもたたないもーん!」
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