依存されやすい人は、基本優しく親切な人なのです
これまで見てきた他者から依存をされる人、されやすい人はとても親切な人ばかりです。
正義心がとても強く、人の嫌がることも率先して行う。
そうして依存をされてしまうと「自分が(過度に)優しくしてしまったから」とヘコんでしまいます。
それはそうですよね、ひどいことをしてやり返されたのなら仕方がありません。
けれども親切にした純粋な優しさを踏みにじられれば、いい気分にはなるわけがない。
人を信用できなくなり拒絶をして、自分の殻に閉じこもっていたほうが楽に思えてきます。
また自分の人の良さを隠し、わざと露悪的になってみたりする人もいます。
大浴場で感じた優しさ
今週は久しぶりに旅行へ行っていました。
宿泊したホテルに素敵な温泉大浴場があったのですが、私は部屋から体洗い用のタオルを持っていくのを忘れたことに気がつきました。
幸い大浴場の脱衣所に入る前に気がついたので、同行者に部屋へ戻ると伝えました。
すると脱衣所から出てきたばかりの女性が「濡れていますが、私のタオルを使いませんか?」と言ってくれたのです。
コテージタイプの部屋もあるホテルで、客室から浴室まで結構歩く建物でした。
外部の人が入れないよう、途中カード・キーを何度か差し込むような作りです。
その手間を、考えてくれたのだと思います。
部屋に戻るのが面倒なのでお借りしてしまおうかと思ったのですが、その人がまた入浴するときに新たなタオルをもらう手間がいります。
まだ服も脱いでいなかったことですし、ちょっと運動量が増えると思えばと考えました。(階段も多いのです)
「ご親切にありがとうございます。まだ時間がありますから取りに行きます」とお礼を述べて、部屋へ取りに戻りました。
取りに戻る際「自分にあの親切ができただろうか?」と考えてしまいました。
タオルひとつのことですが、あまりにもスムーズなその人の言動がとても引っかかりました。
自分にも親切心はあるのですが、断られることを恐れて引っ込めてしまっている。
いろいろ考え過ぎてしまって、動かなくしている自分を再確認しました。
親切を受け取る力のない相手は存在します
親切を受け取る力のない人は、他者の親切心を感謝のない形で奪っていきます。
「あの人がよほど自分を気に入っている」とか「(上下関係があるのだから)もらって当然だし、礼を言うほどのことはされていない」と勝手な脳内変換をして、恩を仇で返したりします。
そんな人たちに傷つき、優しい気持ちを封印してしまうのです。
ただ相手に受け取る力がないだけなのに。
受け取る力のない人は、もらいながらも感謝ができない満たされていない人です。
けれどもそんな人ばかりではないのです。
1度だけは許そう
そういう人たちを最初から見抜く術はありませんから、避けて通ることもできません。
私が実践しているのは「1度だけ許す」です。
依存されてきた歴史のある人たちは、1度依存をされれば深入りする前に見抜くことができると思います。
その際「この人のこの言動が早めに出てよかった」と考えて、自分の人の良さを否定しないことです。
そうしてすぐに、その人からは黙って撤退するのです。
間違っても「優しさを仇で返された」と悔やんで、北風と太陽のように太陽光線をその人へ照らし続けてはいけません。
親切な人ほどここで新たな親切を仕掛けてしまいますから、よくよく相手を選んでいただきたい。
その優しさは価値のわかる、受け止める力のある人へだけ降り注げばいいのです
自分を荒ませたり、優しさを封印することで自分へいいことは返ってきません。
また「こういったリアクションが欲しい」と期待するのもご法度です。
それが裏切られたとき落ち込むのは、他ならぬ自分ですから。
物をあげることと一緒で自分から授けた親切でも、授けた時点で相手の物だということです。
「どう扱われようと構わない!」という気持ちを持てない好意は、親切ではなくなってしまうのです。
今回の旅は台風で出発が危ぶまれましたが、タオル同様とても恵まれた旅でした。
来週は旅の楽しかったことを、投稿したいと思います。
ではみなさん、楽しい週末をお過ごしください!
また来週♪
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