「私最低なの」と言っていた下級生
高校生のとき「日替わりで男がいるなんて、私最低なの」とあっけらかんと言う下級生がいました。
私の通っていた高校はいわゆるお嬢様校だったので、父兄会や面談の日には高そうな呉服や、煌びやかなスーツを着て参加する保護者が大挙して訪れていました。(当時はバブル期直前で、景気もよかったんですね)
その親の子供たちもお財布の中には万札が何枚も入っていて、修学旅行では当時流行っていたヴィトンのボストンなど高級ブランド品の携帯は当たり前という華やかさ。
サラリーマンの娘だった私は、桁外れのお金の持ち方をする同級生たちを「自分とは世界の違う人」という目で見ていました。
私は当時乗馬に夢中になっていて、安く馬に乗せてもらう条件が毎日馬の世話をしに行くことでした。
ですから学校帰りはS.G(速攻帰り)組と名付けられるグループに属していて、S.G組の中に1人「超」の付く1学年下のお金持ちのお嬢様がいました。
その人は誰もが知っている全国展開企業の社長令嬢だったのですが、なぜS.G組だったかというと「日替わりの彼氏」がいたからです。
とても口が悪く、上級生の私にもタメ口で人懐っこい性格です。
比較的上下関係の厳しい学校でしたから、そのお嬢様は「異端」といえる存在だったようです。
私も同じく「年功序列」や「上下関係」というものに抵抗があり、年下でもとても尊敬する人はいますし、何十歳年上でも自分のことしか考えていないような人を敬えません。
そういう部分で気が合い、彼女は毎日楽しそうに話をしてくれていました。
私の感想はただただ「正直な人だな」
下校時のバスの中で、その人はここでは書けないような男性遍歴を教えてくれます。
なかには「最低だね」と言ってしまうようなことが多々ありますが、聞いていてなぜか嫌悪感は起こりません。
会ったこともない男性側が気の毒になるほど、若きJKの男性への翻弄のしかたは、天性の悪女並みに残酷でした。
「いつかひどい目に合わない?」などと言いながら、私はその人のことを憧れの眼差しを持って話を聞いていました。
憧れの眼差しのなかには彼女がお金持ちのお嬢様で、隠しようのない「豊かさが基礎となる品格」のようなものを兼ね備えていたということもあります。
けれども私が彼女へ感じたいちばんの魅力は、その正直さです。
「こんな最低な話を私にするのに、なぜ毒気を感じないのだろう?」と彼女独自の無邪気さに魅了されていました。
彼女は私へ伝えるのと同様にどの交際相手にも、最低ぶりを隠さず普通の会話として伝えているというのです。
彼女が「最低」だと知ったうえで男性側は翻弄されることを選んで、付き合っていたということが毒気を感じない理由でした。
互いにに選択肢を持てていることが、一番重要
その人の最低な部分を知らずに付き合わせたわけでもなければ、彼女も自分の最低な部分を受け入れてくれる人なら、誰でもよかったわけではありません。
しっかりと吟味をしていました。
「最低なことをするけど、自分を軽くあしらう人間とは付き合わない」と言っていました。
「自分が最低だということを自分で受け止めてはいるけれど、そのことを他者から低く見られる筋合いにはない」と自分が最低であることと、最低さを自己卑下に持っていくことは別問題だと分けて考えています。
つまり自分を「最低な女」だという理由で付け入ってくる相手は「偽善者」だということを知っていたということですね。
また独占されることを嫌う彼女と同じように、女性の独占欲を嫌う男性が彼女を好きになるのです。
けれども男性たちは独占欲の強い女性を避けたいだけで、軽い恋愛をしたいわけではない。
利害の一致した交際相手たちは、誰もが彼女を大切にしていて、彼女も学校が終わるのが楽しみで仕方がない様子。
そんな彼女の不思議な恋バナを「ホー」とか「ハー」などと言いながら、面白おかしく聞いていた私でした。
大人になってからわかったこと
その当時の私にはわからなかったことですが、嘘をついてまで近づき相手へ選択肢を与えない人のなんと多いこと。
とても優しく親切なふりをして交際までこぎ着けてから「釣った魚に餌をやらない」と豹変する人。
一緒に遊ぼうと声をかけ、散々飲み食いした後で「お金がない」という人。
もっとディープな話もありますが、とにかく本性を知ると去りそうな相手に、嘘をついてまで囲い込むようなペテン師気質の人がいるじゃないですか。
けれども平気でペテン師になれる人は、嘘をついている自覚のない幼児性の強い人なのです。
皆んな「だまされた」と憤慨しますが、だます気はないんです。
ただ幼稚っていうだけです。
子供って気分でコロコロ話を変えて、大人をコントロールするでしょう?
あれと一緒なんです。
私が憧れたのは彼女の「モテモテさ」ではなくて、若いのに成熟したフェアプレイ精神だったのです。
だって彼女は可愛いJKを売りにもしていませんでしたし「最低だ」と公言をして、その最低さが嫌な人は近づかないから傷つけずにすむわけです。
しかも彼女は美形でもない。(私自身のことは、棚に上げて言わせていただいてます!)
普通のお顔立ちです。
それでもモテモテで誰とも恨みっこなしって、いかに彼女が魅力的な人だかお分かりでしょう?
ありのままの自分を伝えることができるのは、精神が成熟していないとできない
彼女のお父さんで3代目という伝統のある会社でしたから、大きな組織を長く継承させるには、経営者の人間性がよほど成熟していないと続かないということが今ならわかります。
「人生の帝王学」のようなものが、しっかりと彼女のマインドにも早くから根ざしていたのでしょう。
思ったことをなんでも正直に伝えることが、いいことだと言っているのではありません。
「こんなはずではなかった」と相手が思わない配慮がなされた正直さが、成熟度だと思うのです。
相手へ甘い夢を見させるような嘘はつかないし、去勢も貼らなければ尊大でもない等身大の自分を表現する。
発する言葉は真実でなければ、相手は判断のしようがありませんから。
自分も相手も選択肢をしっかりと持って、初めていい関係性を構築することができるのです。
たとえみっともなくとも、恥ずかしくても正確に自分を伝えたいと私も心がけています。
正直さゆえに一部の人から「異端」だと見下されていても、相手を配慮した本音なら自分を尊重してくれる人はいます。
例え尊重してくれる人がいなくても、正直さを見下す人たちばかりに囲まれるよかずっといい。
風の便りに聞きましたが、彼女は現在3人の子供さんと田舎でのんびりと畑を耕し、シングル・マザーとして生き生きと暮らしているそうです!
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