無傷な人生は誰にもありえない
たとえ親から愛情いっぱいで育てられた人だって、無傷で生き抜くことはできません。
自分や家族が大病を患ってしまったり、仕事で大きなミスをして責任を追及されたり、思うようにいかないことは誰にでも起きます。
挫折は誰にでもあることですし、自信があったことほど挫折をしたときの傷は深く残ります。
- 仕事の能力の高さでは、誰にも負けない
- 育ちのよさは誰にも負けない
- 優しさでは誰にも負けない
など生まれながらに持っていたものが大きい人ほど、また持っているものだけで成功体験を感じたことほど挫折感は強くなります。
20代の頃の私は誰もが、うらやましく思えていました。
自分の荒んだ家庭環境はとてもみじめに思えていたので、それだけで「他者より劣っている」というコンプレックスを抱えていました。
自己卑下というものです。
そうして親とは違った温かな家庭を作るという夢も、最初の結婚が離婚に終わったことで大きな挫折感とともに玉砕しました。
離婚をしたのは20代の中盤です。
まだ1度も結婚をしていない人が多いなか、自分は結婚も離婚もすませてしまっていたのです。
すべて自分の黒歴史として連ねて、自己評価をどんどん下げていきました。
「仕方がないよ。私はもともと愛されて育っていないのだから、人の愛し方も、愛され方もわからないのだ」
そう思い込み自分の生まれ育った環境(生育歴)はどうにもできないのだし、生育歴で形成された性格なのだから変えることは無理。
「自分は誰からも愛されるに値しない人間」だと自分に言って聞かせ、若いうちから早々にあきらめの境地に入っていました。
やがて30代に入り離婚をする友人が男女ともに増え、精神的な不安定さを抱えてしまったり、さまざまな事情で挫折を経験する人たちが出てきたのです。
その人たちは優しい親御さんに、育てられていました。
親を嫌って大学入学から家を出た私とは違い、温かな帰る場所があることを、いつもうらやましく感じていた人たちです。
私は挫折経験が多いので、挫折がくるのはイヤですが「またか」という慣れのようなものも同時に発生していました。
けれどもそれまでに挫折経験のなかった人たちは「この自分にこのようなことが起こるなど、信じられない」と打撃が大きすぎるのです。
そうして自分の殻に閉じこもってしまい、なかなかそこから出てこようとしなくなる。
なかなか出てこない理由として「もうこれ以上挫折をしたくない」「多くを求めると挫折をしてしまう」「自分は無理をしたくない」「聞こえのいい仕事しかしたくない」などの声が聞こえてきます。
これは過去に持っていたものに対する成功体験にすがり「自分はもっとうまくできる能力を持ってはいるけど、環境がそうさせてくれないだけ」と環境のせいにしていることと同じです。
「成績が悪いのは勉強しなかっただけ、勉強さえすれば自分はできる人間なのだ」と言っている浅はかな子供の理屈です。
育った環境(生育歴)は性格形成に関係はあるけど、大人になると関係なくなるという意味
自己卑下をして人生をあきらめていた、私の若いころの心理と同じことを30歳を過ぎてから始めるのです。
安全圏を狙っているのですが、現在が幸せか?と聞くと「可もなく不可もなく」と一様に答えます。
生育歴は確かに性格を形成するうえで大きなものですが、挫折を経験すれば大人でも生育歴の悪かった人と、同じ卑屈さを抱えてしまうということです。
また安全なサナトリウムで育ってきた分、生育歴が悪かった人より弱い部分も持ち合わせています。
こうなると生育歴の良し悪しは、関係なくなります。
挫折を感じた後をどう生きるか?がその後の人生を大きく左右するのです。
それは誰にも平等なのです。
若いうちから挫折経験が豊富な(!?)私は挫折をして深く傷ついても、それまでより小さな世界に閉じこもるのは絶対にイヤなことです。
いくつになっても恥をかくって、とても大切なことなのです。
むしろ挫折をして恥をかきまくったからこそ、挫折する前より大きく幸せになりたいと願います。
どれだけ小さな世界に閉じこもっていても、挫折は誰にでも等しく訪れることを知っているからです。
挫折のない人生など、誰にもありません。
挫折があなたの足りない部分の補うべきものや、排除するべき人やものごとに気づかせてくれます。
挫折をつらく感じても「それほどの強いショックがなければ、気づくことができなかった」きっかけが与えられたと考えればいい。
足りないものは取りにいけばいい、要らないものは捨て去ればいいと、とてもシンプルなのです。
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