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「前提が変わると、本当に素晴らしいことが起こるのね」

そんなことを思わせてくれるメールが、アメリカから届く。

大学時代のアルバイトを含めると、英会話講師として通算で7年ほど勤めていた。

その間教えた生徒さんは述べ人数300名ほど。

現在も連絡を取り合える人たちは、ほんの数名だけ。

留学目的で勉強をしにくる人が多かったので、海外へ出てから転々としているうちに連絡が途絶える。

このメールをくれたのは、連絡が取れるなかの貴重な1人。

数年に1度メールのやり取りをする元生徒さん。

 

大人対象の英会話スクールで働いていたとき、前任講師から引き継いだ子供のレッスンが1コマだけ入っていた。

男子1人女子2人の小学校中学年3人のクラスで、とてもやる気のあるいい子たちだった。

半年ほど私が受け持ち、バレンタインの前週にそのクラスは他の先生の担当になることになった。

とても慕ってくれていたので、私の担当ではなくなることを父兄へは連絡をしていた。

すると「最後の授業のときに、先生から子供へ伝えてほしい」と父兄からも子供たちが悲しむことをわかっていて、事前に自分たちから伝えたがらなかった。

 

最後のレッスンが終わって、いよいよ伝えなければならなくなり意を決した。

「あのね、このクラス先生が変わるの。私は子供のクラスを受け持たなくなって、大人のクラスだけを受け持つことになったの」

と伝えると、それまでふざけて笑い転げていた3人が申し合わせたかのように唖然とした。

「次の先生が3人とのレッスンをとっても楽しみにしているよ。3人とも英語が大好きって伝えたら喜んでいた」と言うと3人とも泣き出してしまった。

気を張って笑って見送ったものの、3人が学校を後にすると自分もしょんぼりとしてしまった。

日報を書いて帰ろうとしたとき、窓際に置かれた小さな包みが目に入った。

3人のうちの1人の女の子が手紙とともに、目立たない場所へチョコを置いて帰っていた。

当時人気だった「ちびまるこちゃん」の便箋と封筒の手紙も一緒に置いてあった。

「セリ先生 いつも楽しくえいごを教えてくれてありがとう。私は大きくなったら先生みたいにえいごペラペラになるの。ずっと私にえいごを教えてください。先生だいすきー!LOVE❤️」とかわいい文字で一生懸命書かれていた。

前の週に「英語の手紙で『愛を込めて』ってどう書くの?」と聞かれていた。

私へ書いてくれるために聞いていたことがわかり、とうとう涙腺が崩壊してしまった。

 

その子は大学に入るまで年に1通は必ず手紙をくれていた。

高校からアメリカへ渡りそのまま大学も就職もアメリカで、アメリカ人男性と12年前に結婚していた。

私もときどき「元気にしているかな?」と思い出す程度で、会ってはいない。

 

メールの内容がとても嬉しかったので、本人に私のブログの存在を伝えて掲載をしてもいいか許可をいただいた。

以下一部掲載をさせていただく。

結婚12年が経って念願の男の子が生まれました。

最初の10年間は子供が欲しくて、とても焦りました。

10年が経って夫婦で話し合いをして、養子縁組をすることにしました。

とてもかわいい3歳の女の子を養子に迎えたと同時に、お腹の中に命が宿っていました。

男の子だとわかり「女の自分の体のなかにおチンチンがあるのだよ!信じられる?」と娘と話していました。

生まれたときに先生から言われたことを、思い出しました。

高校生だったころ英語がわからなくて、友達もできず日本へ帰りたいと毎日思って泣いていました。

親は「せっかく高いお金を払って行ったのだから、頑張ってくれないと困る。そんなことで帰ってきてどうするの?」と電話で言っていました。

どうしても我慢ができなくなって、先生へ電話をすると先生は「すぐに帰っておいで!」と言ってくれました。

「帰ってはいけないって思うから苦しいのよ。苦しかったら帰ってきていいの。(親も)許してくれるよ」と言ってくれたのです。(先生覚えていないでしょう?笑)

先生は私の性格も親の性格も知っているから、言ってくれた言葉を信じることができました。

「帰ってくるなと言っている親も、きっと苦しいんだろうな」と恨まなくなりました。

「帰ってもいい」と思うとふっきれて、急に帰りたいと思わなくなりました。不思議です。

この子がお腹にいることがわかったとき、先生との電話のお話を思い出しました。

自分の子供はこれからも生まれないと思っての養子縁組だったけど、娘を養子にしたら子供を産む、産まないという葛藤がなくなりました。

誰の子でも大切に育てようと思ったら、自分の子供でなくてもかわいいし楽しいし。

そうしたらお腹にこの子がきてくれた。

欲しいと思わなくなったら、授かりました。

産みたいと思わなくなったら、生まれました。

この子を授かってから私は、人の幸せを願うことをやめました。

「幸せになって」っていうのは「幸せじゃない」ことが前提だから、不謹慎なことだと思い始めたのです。

娘もお姉さんとして息子をとても可愛がります。

毎日ドタバタと暮らしていますが、また子供の写真をメールしてもいいですか?

 

すっかり私より英語を話せるようになり、私よりずっと精神が大人の女性に成長した。

彼女が書いているように、私は彼女へ「すぐに帰っておいで!」と言ったことを覚えていない(笑)

チョコをそっと置いて帰ってくれた少女のころから、とても控えめで優しい子だった。

素敵なママになっていることは間違いがないと思うと、本当に嬉しい。

 

彼女を習って私も「幸せになってね」と人へ言うのをやめようか?

では「不幸になってね」と言えば「幸せ」が前提になるのだろうか?

うーん、言葉って、思いって難しい……。


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