「あー、またゼロに戻ってしまう」と思うかもしれません

自分の親と離脱ができない理由のひとつとして、ゼロに戻ることにマイナスイメージを持っている場合が多いです。

それはあくまでも、現況がプラスというイメージから成り立っています。

けれども、もし現況がマイナスだったとしても、ゼロに戻ることを嘆くだろうか?

そう考えてみてください。

ゼロになることは、キャリアが分断される以上のメリットが

「これまでの親の世話や、親からかけられた迷惑、面倒に耐えてきた自分はなんだったのだろう?」と。

人生の多くの時間を親と対峙するために使ってきたのですから、空しさを感じてしまうかもしれません。

けれども実際は尊いことですし、自分の人生における大切なキャリアのひとつだということです。

それでも親との確執や葛藤から離れることで、キャリアが分断されてしまうことは大きな喪失と感じるかもしれません。

するとキャリアを失うのか?それともこのまま依存関係を継続させるのか?

といった究極の選択を迫られているように、感じてしまうこともあるでしょう。

そこでキャリアの実績が奪われることと、依存関係を継続させることとは別の問題だと考えてみてほしいのです。

キャリアを積み上げて行く上で、自分の思考能力や処世術は確実に積み上げてきているわけです。

だから例えキャリアがゼロになったとしても、能力的にはゼロにはなりません。

いわば大学生が幼稚園へ、通い続けているようなものだったのです

依存的な親ほど幼児性を強く持っているということを、このブログで常々書いてきています。

子供はいつからかずっと遠い昔に親の精神年齢を超えてしまったことを、親の立場を尊重するあまり見ないようにして過ごしている。

あるいは、本当に見えていない人もいます。

すると自分の正確な能力が見えなくなり「自分は大した能力を持ち合わせてないのではないか?」と自分の能力の高さを信じることが、できなくなってしまいます。

しかしながら他者が客観的に見る、依存を受けた子供とその親では、大人と子供ほどの精神年齢の差があることが多いのです。

「なぜこの人はこんなに自信がないのだろう?」と他者からはまるで、幼稚園に延々と通い続けている大学生のような、アンバランスさを想像させます。

ずっと意思の疎通ができない相手と、対峙してきたから

自分を育てた親が、まさか自分より精神年齢が低いということを受け止めるには勇気が要ります。

またどれだけわかってもらいたいことがあっても、違う言語を話す相手のように意思の疎通が取れない。

もし相手が幼い子供なら意思の疎通がかなわないことは「仕方がないことだ」と諦められると思うのです。

でも自分を養育する能力があった親が、実は幼な子と同等の精神年齢を持っていることを認めるのは難しい。

それゆえ親へ真意が伝わらないのは「自分の伝える能力の方が劣っているのではないか?」と思い込んでしまいます。

そういった経緯で自分の能力全般に、自信が持てなくなってしまい思い悩む人が多いのです。

自分の本当の能力を知ることで、ゼロをどうとらえるか?

皮肉なことに自分の本当に持っている能力の高さや、他者への優しさを培うことができたのは、親と一緒に過ごす時間があったからです。

その一方で能力の高さや優しさゆえに、親から依存される存在でもある。

つまり親と離れていない状態は足を引っ張られている以上、マイナスが深まるばかりです。

そこからゼロへ持っていくことは、実はプラスでしかないのです。

しかもマイナス10をマイナス7にするのも大変なことですが、親から離脱することがゼロに戻ることは急成長を意味します。

またゼロにしない限り、プラスへは持っていけません。

古い建物を取り壊して、更地(さらち)にするようなものなのです。

土地を更地に整地すれば、自分の思うような家(人生)を建て直すことができます。

しかも手こずる親と一緒に過ごせるだけの、高い能力を持っているのです。

その高い能力で自分の家を再建築すれば、どれほど素晴らしい家が建ち上がることか。

ですから「実はゼロに戻ることはプラスになることなのだ」と視点を切り替えると、恐れを喜びに変えることができます。


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